調べもの╎ドストエフスキ

 




こんにちは。音です。

 

今日は【ドストエフスキ】について。
シェイクスピアに続き、作家を取り上げてみました。
それでは、いきます!

 

ドストエフスキについて
 フョードル・ドストエフスキ(Fyodor Dostoevsky)は、1821年にモスクワに生まれ、1881年サンクトペテルブルクで亡くなった作家です。19世紀のロシアを代表する、世界的に有名な文学者です。彼の作品は、人間の内面や倫理的な問題、社会の闇を描き出し、深い洞察と情熱的な筆致で読者を魅了しました。

ドストエフスキの作品
 ドストエフスキの作品は、人間の心の葛藤や罪悪感、神への信仰といったテーマを探求していると言われています。彼は、登場人物の内面世界を描くことに重点を置き、独自の文体で深い心理描写を行いました。重厚で哲学的な要素を含みながらも、人間の普遍的な感情や葛藤を描いているため、多くの人々に読まれてきました。彼の作品は文学の傑作とされており、その影響は現代の文学や思想にも及んでいます。人間の複雑な心の内側や倫理的な問題について考えることができ、文学の力を通じて、深い洞察をもたらしてくれます。

代表作について

罪と罰(1866)
 主人公は貧しい学生のラスコーリニコフ。彼が、自分の理論に基づいて老婆を殺害するところから物語が始まります。彼は犯罪を犯した後の心の葛藤、罪悪感に苦しむ中で警察との心理的な攻防戦を繰り広げられる様子を描いています。同時に、彼は周囲の人々との関わりの中で自らの罪と向き合い、贖罪の道を探します。物語はラスコーリニコフの内面の葛藤や成長、そして彼の選択と結果に焦点が当てられ、人間の心の闇や倫理的な問題を描き出しています。

 

「白痴」(1868)
 主人公のムィシュキン公爵が精神的な障害を持つ若い女性ナスターシャと出会い、彼女をめぐる人間関係や複雑な愛憎劇を描いた物語。ムィシュキンは純真で善意に満ちた人物であり、彼の存在は周囲の人々に深い影響を与えます。物語は、愛、人間の複雑さ、社会の矛盾をテーマにしており、ドストエフスキの心理描写の才能が発揮されていると言われています。

カラマーゾフの兄弟(1880)
 父フョードル・カラマーゾフとその三人の息子、ドミートリー、イワン、アレクセイの複雑な関係を描いています。ドミートリーは父に対する怒りを抱き、イワンは論理的な思考を持ち、アレクセイは純粋な心をもっていました。この物語は父の殺害事件をめぐって、「愛」「宗教」「道徳」「犯罪」といったテーマについて対立します。兄弟たちの心の葛藤や家族の秘密が明らかになり、彼らはそれぞれの道を選択しながら、自らの罪や苦悩と向き合っていきます。人間の本性と倫理的な問題を深く掘り下げた作品といえます。



人間の深層心理が、文学にもより深みを与えているような、
人間の思想、そうした内的な情報を文字で伝える、
その意味は何なのでしょうか。
そして、それが何百年も語り継がれている。

人間は変わってきたのか、はたまた変わっていないのか。
内容だけでなくそうしたことも考えさせられました。


2023.05.30.

調べもの╎シェイクスピアについて

 



こんにちは。音です。

 

今日は個人的に知りたかった人。
いやこれまで、名前くらいしか知らなかった人。
シェイクスピアについてです。

 

シェイクスピアとは

 ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)は、イギリスのストラトフォード=アポン=エイヴォンで生まれ、同地で亡くなった劇作家・詩人です。また非常に有名な文学者でもあります。
 彼は16世紀から17世紀にかけて活躍しました。世界的に有名な作品を多く残し、文学史界においても大きな影響力を持っています.

 

劇作品の特徴
 シェイクスピアの劇作品は、悲劇や喜劇、ロマンスなど様々なジャンルがあります。作品のテーマとしては、恋愛や友情、冒険、王族の物語など、人間の感情やその人生まで、多岐にわたります。

 

代表作品
 代表的な作品としては、「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」、「マクベス」などがあります。これらの作品は今でも世界中で上演され、映画や舞台としても人気です。

シェイクスピアの言葉や表現
 シェイクスピアの作品では、特殊な古い英語が使われており、理解するには少し難しい側面もあります。ただし、作品の中には有名なセリフや表現、例えば、「愛の力は偉大だ」や「世界は舞台であり、私たちは役者」など、多くあり、今もなお人々に親しまれています。

シェイクスピアの代表作
 数々の名作を残したシェイクスピア。彼の代表作をいくつか紹介します。代表的な作品としては、「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」、「マクベス」などがあります。これらの作品は今でも世界中で上演され、映画や舞台としても人気です。

 

シェイクスピアの言葉や表現

 シェイクスピアの作品では、特殊な古い英語が使われており、理解するには少し難しい側面もあります。ただし、作品の中には有名なセリフや表現、例えば、「愛の力は偉大だ」や「世界は舞台であり、私たちは役者」など、多くあり、今もなお人々に親しまれています。


シェイクスピアの代表作

 数々の名作を残したシェイクスピア。彼の代表作をいくつか紹介します。

 

ロミオとジュリエット

Romeo and Juliet(1597-1599頃)
ロミオとジュリエット」は、シェイクスピアの有名な悲劇の一つです。二人の若い恋人、ロミオとジュリエットの禁断の恋と悲劇的な結末を描いています。この作品は、愛の力や家族の対立などがテーマ大きなテーマとなっています。

 

ハムレット

Hamlet(1600-1601頃)
 「ハムレット」は、シェイクスピアの悲劇の中でも最も重要な作品の一つです。物語はデンマーク王国の王子ハムレットの復讐の物語であり、彼の内面の葛藤や独白が特徴です。この作品は、死や裏切り、人間の存在意義などの哲学的なテーマが探求されています。

 

マクベス

Macbeth(1606頃)
マクベス」は、野心と欲望によって破滅していくスコットランドの将軍マクベスの物語です。彼と妻のレディ・マクベスの罪と苦悩が描かれ、力や野心の暗い側面を浮き彫りにしています。この作品は、権力や道徳の問題を探求し、人間の欲望の影響を描いています。

 

オセロ

Othello(1603-1604頃)
「オセロ」は、モーリタニアの将軍オセロと彼の妻デズデモーナの物語です。嫉妬と陰謀が絡み合い、オセロとデズデモーナの関係に破滅的な結末をもたらします。この作品は、人種差別や嫉妬の破壊力などをテーマにしており、シェイクスピアの傑作の一つと言われています。

 



以上、基礎中の基礎をまとめてみました。

 

400年もの月日を経ても、色あせることなく、魅力を放つ作品たち。
これこそ、人類の宝だなと。

 

芸術は生きていくのに必要はない。
これは2020年のコロナ禍で誰もが一度は思ったことだと思います。

 

それでも、こうして形なき芸術が、
何百年も受け継がれてきていること。
その素晴らしさに触れ、後世に受け継いでいくことも
大事なんだと改めて思いました。

 


2023.05.29.

本の紹介

 

 

 

こんにちは。音です。
今日は本の紹介になります!

ジャン・クリストフ物語

 

ジャン・クリストフ物語

 

ロラン・ロマン【原作】宮本 正清【翻案】

 

ベートーヴェンの生涯をモデルに書かれた傑作大河小説

  作者のロマン・ロランは1866年にフランスで生まれた作家。学生時代には文学のみならず、音楽も愛好し、ピアノもたしなんでいたそうです。今回紹介する『ジャン・クリストフ』が執筆されたのは1903年から1912年のこと、1915年にノーベル文学賞を受賞した作品です。ベートーヴェンの生涯をモデルに書かれた全10巻の大河小説の縮約版、少年時代編です。



もう少し詳しくいきましょう!

ロマン・ロランのプロフィール

 ロマン・ロラン(Romain Rolland, 1886-19444)は、フランスのニエーヴル出身の作家です。戦争反対を世界に訴え続けた理想主義的ヒューマニズム・平和主義・反ファシズムとして知られています。1915年にノーベル文学賞を受賞しました。
第1次、第2次世界大戦中はスイスに住み、作家生活を続けました。

 

ロマン・ロランの著書

 主な著書は『ジャン・クリストフ』『ベートーヴェンの生涯』『トルストイの生涯』『愛と死との戯れ』『マント-ヴァの包囲』など多数あります。
ジャン・クリストフ』はソルボンヌ大学音楽史教授時代に書いた作品です。

ロマン・ロランの名言集

・英雄とは、自分のできることをした人である。
ところが、凡人はそのできることをしないで
できもしないことを望んでばかりいる。


・けっして誤ることがないのは
何事もなさない者だけである。

・幸福とは、自分の分を知って、それを愛することである。




 本自体はこどもでも読みやすい一冊となっています。
 フランス人の作家が、ドイツ生まれでウィーンで活躍したベートーヴェンをモデルに作品を書くとは、興味深いなと思いました。もちろん、ベートーヴェンは素晴らしい作曲家であり、その上、波乱万丈な人生を歩んだ作曲家。でもなかなか、“ベートーヴェンをモデルに”とは思いつかなったはず。
 『ジャン・クリストフ』を書いていた当時、音楽史教授をしていたロマン・ロランは、ベートーヴェンをこう書きたかったのかな、と想像しながら読むのも面白いと思います。

 
ぜひ、ご一読ください!


2023.05.28.

調べもの╎牧野富太郎

 

 

 


こんにちは。音です。

 

今日はいま話題の【牧野富太郎】博士について調べてみました。
NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公ですね。
それではいきましょう!

 

 

牧野富太郎について

 牧野博士は1862年高知県に生まれました。幼名は成太郎。幼い頃に両親を亡くし、祖母に育てられました。「日本の植物の父」と言われ、多数の新種を発見、その命名も行った植物学者です。
 日本の植物分類学の基礎を築き、『大日本植物志』や植物愛好家必携の書『牧野植物図鑑』を刊行しました。研究と普及活動の集大成といえる『牧野日本植物図鑑』は、現在でも日本の植物の約300種は牧野博士が付けた学名が使われています。
 1957年、94歳で亡くなるまで日本全国を周り、膨大な植物標本を製作しました。
 彼の性格は「一つのことに没頭して研究」、他にも「頼まれた仕事はしなくて、頼まない仕事に熱中する第一人者である」「植物の研究で社会や国家のためにご自身を犠牲にされたことには頭が下がる思いだ」と言われていたそうです。

 

東京での生活(18歳-20歳)

 「理由というのはないんです。ただ植物が好きなんです」という言葉を残している牧野博士。植物学に目覚め、東京で研究生活を始めました。
「赭鞭一撻 (しゃべんいったつ)」、つまり確固たる決意や自分はこうありたいという強い思いが込められた言葉にならい、植物の研究に対する心構えを整理した15ヵ条を書き記しました。

・より多くの草木を観察しよう。
・本をたくさん読んで知識を身に付けよう。
・研究の成果にふさわしい、しっかりとした図や文章を学ぼう。
・植物を学ぶ友をもとう。

このように記しました。

 

 

苦難と貧乏

 牧野博士は26歳の時に結婚します。彼が貧乏であった最大の理由は、ホンノ購入にありました。植物研究のために金を惜しまず極度の困窮に陥ってしまいます。食事にも事欠くような暮らしの中でも、夫人は博士が安心して研究に打ち込めるようにと心を尽くしました。

 東京で博士が植物学を学び始めた時代は、日本の植物分類学は草創期にあり、国内で発見された見慣れない植物の同定を海外の研究者に委ねていました。『植物学雑誌』に博士の名前が掲載されたころは、博士をはじめとした日本の植物分類学者による植物の同定や記載の研究水準が向上し、日本の即物分類学研究はヨーロッパの水準に引き上げられました。

 

日本の植物分類学の進歩

 植物の特徴から、「科」や「属」などのグループに分け名前を付ける学問を分類学といいます。植物の場合は花や葉、根のつくりなどをもとに整理されます。学名は1種に1つのみ与えられる世界共通の学術的な名前のことです。

 牧野博士の名が世界に知れ渡った出来事に、
・日本において、日本人で初めて進取に「ヤマトグサ」と学名をつける
・世界的に希少な水生の食虫植物「ムジナモ」に花が咲くことを発見
 したことが挙げられます。

 牧野博士は日本各地を回り、標本を採取して調べていました。生涯で約40万もの膨大な標本を採取しました。

 

卓越した画力

 植物の特徴を的確にとらえ、植物の全貌を精緻に描いた図を「牧野式植物図」と呼ばれています。全体図だけでなく、生殖器官や栄養機関などの部分図ないし解剖図、時間の経過による形態の変化などがバランスよく配置されています。

植物への向き合い方

 「植物は自分の恋人だから、恋人に会いに行くときは正装をする」という考えをもっていた博士は、植物採集に行くときにも、真っ白なワイシャツにジャケットを着ていたそうです。それほどに真摯に植物と対峙していたことが窺えるエピソードです。



 本当に、全身全霊で植物を愛し、向き合い、学び続けた人生であったことがわかります。
 誰しもが、一歩外に出れば必ず目にする植物。だからこそ、そこに注目すること、研究対象にすることは、とても難しいようにも感じます。
 植物が人間に与える影響は無限大。なんだか、いとおしく感じる気持ちがわかるような気がしてきました。

 物への感謝も忘れずにいきたいものです。


2023.05.27.

情報サービス論 レポート

 

 

 

こんにちは。音です。

今日は司書の資格のために書いた

【情報サービス論】

についてのレポートを記録します。

 

 

 

1.序論 

 レファレンス業務の重要な仕事の一つに、利用教育というものがある。これは利用指導、利用支援、情報活用能力の育成とも言われ、図書館の利用法や文献調査法の指導を質問処という形で行うものである。しかし、この質問処理を利用者ごとに一対一で行うことは、とりわけ学校図書館大学図書館でレファレンス業務を行う上では能率的と言えない。レファレンス業務には、図書館利用に関して利用者を自立させる働きがあるため、日々進化していく情報環境についていくためには、より効率的に展開していく必要があるのだ。

 最近では、オンラインサービスが盛んになるに伴い集団指導を行うことが増え、レファレンス係による集団的な利用教育を実施する必要性が出てきた。本稿では、大学図書館における利用指導の内容について述べる。

 

大学図書館の利用指導の内容は、7点挙げることができる。

オリエンテーション

大学図書館が独自に展開する、主に新入生を対象にして行うものである。所要時間は各図書館により異なるが、1時間前後であることが多い。また、新入生を対象にした、20分程度の図書館ガイダンスを行う大学もあるが、このオリエンテーションには含めないとする。

 

⑵図書館ツアー

図書館でのサービス、利用の仕方や配架等を説明しながら、図書館を案内する。ツアー参加者の人数、各図書館の広さや内容の盛り込み方により、所要時間は異なる。また、ビデオツアーの形をとる図書館もある。

 

OPAC検索・カード検索指導

図書館のコンピュータ化に伴い、各図書館に設置されている端末を使って図書・資料を検索する方法の指導が必要となっている。コンピュータ化されていない図書館では、カード検索法の指導が行われる。図書ツアーに組み込まれて実施されることもある。

 

⑷文献探索法(文献調査法)

文献調査法とは、本・雑誌論文記事・新聞記事探索の基本的指導である一般的文献探索法と、主題別に指導する主題別文献探索法とを、さらに区別したものである。1,2 年生には一般的文献探索法を、3,4年生には主題別文献探索法の指導を中心に展開されることが多い。所要時間は1時間を越えることがある。また通常、ここで文献探索法として、インターネット情報等の利用を含めた指導をする情報リテラシー教育も行われている。

 

コンピュータリテラシー教育

パソコンを上手く用いて情報機器操作法・通信方法・インターネット利用等をするための教育をいう。SNSが広く普及している現代において、この教育は大変重要視されている。

 

⑹レポート・論文を作成するためのステップ指導

レポート等を作成するためのステップの説明、また実際に、参考文献の引用の仕方や表現法等も含めた指導をも行う。ビデオやCD等の視聴覚メディアで指導することもある。

 

⑺視聴覚機器やコンピュータ機器を使っての編集指導

レポートや卒論等を電子媒体で提出する大学の場合、学生たちは、パソコン利用上のダウンロード方法等も知る必要がある。そうしたパソコンでの編集の仕方、使い方を指導するものである。

 

⒊次に利用指導の手段について述べる

⑴映像資料の利用

今日では、日本図書館協会監修の『図書館の達人シリーズ』を観ながら、また自館独自の部分については補足説明を加える形で指導を行う機会が増えた。また、自館のスタッフが撮影した自前のライブ動画の鑑賞、書画カメラ(教材提示装置)を用いた投影による説明、パワーポイントなどを使ったスライド形式の指導などが行われている。

 

⑵印刷物の使用

指導に必要なテキストをあらかじめ用意しておく。例えば「図書館案内」は多くの図書館で採用されている。また「書誌解説」や「利用マニュアル」といった指導に必要なテキストを用意したり、指導内容やレベルに応じてプリントを作成したりもする。OPACの使い方の練習問題、書誌リストや参考図書リストを把握するためにも作成されている。

 

⑶パソコンの利用

HPの中に利用教育メニューを組み込むなどといった様々な取組みが各館で行われている。今後はさらに、こうしたネット環境を活用したセルフサービスによる利用教育が普及していくと思われる。

 

⒋まとめ

 図書館を活用した大学での学び、そしてこれから社会で生きていくためには、今日提供されている最新のサービス機能を知り、今ある情報すべてを網羅し、それを使いこなしていかなければならない。多くの学生が社会にでる前の最後の期間である大学生のうちに、情報リテラシーを確実に身に付けられる、そういった人材を育てていくうえでも、図書館での利用教育は必然である。

 しかし何より、図書館は書籍媒体での情報提供が大きな役割を果たしている。利用手段のオンラインサービス向上も非常に大事ではあるが、実際に図書館を歩いてみる、本を手にしてみることで、初めて図書館にある情報を”使いこなす”ことができ、ブラウジングセレンディピティの能力も磨きがかかるだろうと筆者は考える。そしてさらに、どういった要望、活用の仕方にも対応できるよう、レファレンス業務の質的レベルの向上もますます要求されるようになるだろう。



 

 

 

2023.05.26.

調べもの╎イスラエルについて

 

 

 


こんにちは。音です。
今日も、知りたい国について。

イスラエルです。

なんとなく、漠然としたイメージしか抱けなかった国。
少しだけまとめてみたいと思います。

 

 

イスラエルについて

正式はイスラエル国(State of Israel)

基本情報
面積:22,072㎢
人口:9,289,761人(2020年)
首都:実質的にはテルアビブ。基本法エルサレム


 西アジアに位置する共和制国家です。レバノンやシリア、ヨルダン、エジプトと国境を接しています。ユダヤ人が約7割、アラブ人が約2割を占め、言語はヘブライ語アラビア語が使われています。

 1947年に国連総会は、パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割する決議を選択し、イスラエルは1948年に独立を宣言しました。1948年、1956年、1967年、1973年と4度にわたり、周辺のアラブ諸国と戦争、その後は1979年にエジプトと、1994年にヨルダンと平和条約を締結しました。2020年にはアラブ首長国連邦バーレーンスーダン、モロッコと国交正常化に合意しています。

 首都は、基本法ではエルサレムとしています。エルサレムにはユダヤ教キリスト教イスラム教の3つの宗教の聖地があります。このように、宗教上重要な意味を持つ都市エルサレムは、イスラエルパレスチナ両国がこぞって欲しがる街になります。そのために、イスラエルエルサレムを首都としていますが、反対の声が多く、日本をはじめ国際的な承認は得られていないのが現状です。

 

イスラエルの産業

 主要産業は、鉱工業(ダイヤモンド研磨加工、ハイテク関連、食品加工、繊維、ゴム、プラスチック、薬品、機械、電子機器、消臭等)、農業(柑橘類、野菜、穀物、生花、酪農品など)になります。
 2003年以降、自国通貨の対ドル・レート低位安定等を背景とした競争力の向上やイラク戦争終結によるビジネス環境の改善等により、ハイテク・情報通信分野を中心に輸出が好調します。一時、経済成長率が落ち込む期間はあったものの、2021年には8.2%のプラス成長に戻り、堅調な経済状況が窺えます。
 高度な技術を背景としたハイテク・情報通信分野およびダイヤモンド産業を中心に経済成長を続けており、基本的には輸出を志向する産業構造となっています。

 通貨は新シェケル(NIS)で、100円=約2.55シェケル(2022年8月)です。

 

イスラエルパレスチナの対立

 紀元前に栄えた王国が滅亡した後、ローマ帝国の支配のもとでユダヤ人は世界各地へ離散したと言われています。
 19世紀からシオニズムと呼ばれる祖国復帰運動が盛り上がり、第一次世界大戦中に、パレスチナを統治していたイギリスが、ユダヤ人の国家建設支持を表明しました。
 第二次世界大戦後、国連でパレスチナユダヤ人の国とアラブ人の国とに分割する提案がなされ、ユダヤ人の国としてイスラエルが創設されました。しかしアラブ側は強硬に反対したために、中東戦争が勃発し、それは1973年の第四次まで続きました。
 その後エジプトやヨルダンと平和条約を結びましたが、中東戦争で獲得したゴラン高原の占領を続けています。
 1993年には、パレスチナ自治区の暫定自治について、パレスチナ解放機構と合意しましたが(オスロ合意)、その後も双方の衝突は続き、事実上オスロ合意は崩壊しています。


芸術について

 イスラエルフィルハーモニー管弦楽団は、イスラエルの主要なオーケストラになります。
 1936年、イスラエル建国に先立つイギリス委任統治パレスチナ時代に、ヴァイオリニストのブロニスワフ・フーベルマンの呼びかけに、ナチス・どいつの脅威にさらされたユダヤ人をはじめとする数多くの音楽家が集結し、パレスチナ管弦楽団を創設したのが始まりです。イスラエルが建国された1948年に現在の名称になりました。
頻繁な演奏旅行や録音の機械に芽子まれ、首席指揮者に世界的な指揮者も迎えてきました。なかでも、ズービン・メータ(1936-, インド出身の指揮者)との関係は、半世紀以上に及びます。
 主なレパートリーは、ベートーヴェンモーツァルトメンデルスゾーンブラームスチャイコフスキーマーラーなどです。一方、ユダヤ演奏家が多いことから、ワーグナーナチス・ドイツの文化的象徴のために、事実上タブーとされています。



 エルサレムを巡った歴史について書くと、とんでもないことになってしまうので、今回は要点をしぼって書きました。自分でしっかり調べ、知識として蓄えたいと思います。
 実は昨日のエチオピアの記事は本を中心に、今回のイスラエルの記事はネットを中心に調べました。どうでしょうか。
 時間や手間はかかるにせよ、本で調べた方が頭に入るし、様々な情報が書かれていても要点が掴みやすく、要約する力も自然と身に付くように感じました。
 

 本の良さ、ネットの良さ、両方を享受し学びができるよう、頑張りたいと思います!


2023.05.25.

調べもの╎エチオピア

 

 

 

 

こんにちは。音です。

 

今日はいきなりテーマを変更して、

エチオピアについてです。

 

仕事で調べる必要があり、

何冊か本を読んでまとめてみました!

 

⋆小中学生のレポート課題程度のレベルになります。

 

 

エチオピアについて

正式名称は、エチオピア連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Ethiopi)。

基本データ
面積:109万7000㎢
人口:1億495万人
首都:アディスアベバ

 アフリカ大陸の北東部に位置する内陸国。アフリカ最古の独立国であり、その歴史は約3000年にも及ぶ。植民地支配からまぬがれてきたため、80以上の多様な民族と多くの言語が生み出されてきた。公用語はアムハラ語で、英語も使われている。エチオピアの気候には、日本のような四季がない。海抜の差によって寒冷、温暖、熱帯地域と気温の変化があり、寒冷地帯の最低気温は0度、熱帯地帯の最高気温は50度にまで及ぶ。通貨はブル(Birr)が用いられ、1円=2.53ブルである(2023年5月現在)。

 

エチオピアの歴史

 紀元前10世紀頃に、すでに奴隷制度の王朝が作られていたアフリカ最古の国。伝説によると、この地を統治していたシバの女王古代イスラエルのソロモン王との間に生まれたメネリク1世が、エチオピア帝国を築いたという。
 4世紀にキリスト教が伝わって以来、イスラム教徒の争いが続いている。
 エチオピアは最貧国で、慢性的な食糧不足や世界金融不安等の問題も多い。だが、政治主導権型の経済安定策などが行われているほか、農業や製造業などの成長により、2002年頃からGDP(国内総生産)が平均して年10%増加している
この国では、1年が13ヵ月で考えられている『エチオピア歴』が使われている。1年間の日数は、『グレゴリア歴』と同じであるが、元旦はグレゴリア歴でいう9月11日になる。

エチオピアの食文化

 エチオピア南西部の熱帯雨林は、野生のコーヒーの木の繁殖地である。「コーヒー」の名は、比較的規模が小さいコーヒー農園の大半が位置するエチオピアの「カッファ地域」からきたものである。コーヒーはエチオピアの年間の輸出収益の約60%を閉めている。とくに「モカコーヒー」の銘柄で知られ、こうした農業が、圧倒的にエチオピアの主要な経済活動となっている。
 エチオピアでは、来客時、おやつどき、毎食後のコーヒータイムは欠かせない日課の一つである。昔ながらの、豆を煎るところから始まる「コーヒーセレモニー」は、飲み終わるまでに2時間近くかかる。      

 

コーヒー栽培          コーヒーセレモニー   


   

エチオピアの芸術
 読み書きが得意でない国民が多い国では、宗教的、歴史的出来事を音楽や劇、踊り等で表現することが大切にされてきた。国土や、そこに住む人々について書かれたエチオピアの歌は、さまざまな楽器で伴奏される。例えば、ヘラール(ハープに似た楽器)、マセンコ(竪琴に似ている、1本の弦を弓で弾く楽器)で演奏される。

 

マセンコ

 

 

 

エチオピアといえば、コーヒーが有名ですよね

そして、エチオピアはアフリカ最古の歴史をもつ国だとは知りませんでした。

 

同じ地球の上でも、これほどにも文化が異なる面白さに気が付きました。

世界は広い!勉強できる環境に感謝し、これからも頑張りたいです。

 

 

 

2023.05.24.